この週末ある事について考えていた。
普段から頭の回転が速いせいか、この「考える」というフェーズが極端に短くてあっという間に答えを導き出してしまう僕だが、ちょっと判然としない問題があったので久しぶりに時間をかけて考えてみた。
いたいいたいものをなげないでくだsゴフッ。
さて、考えていたこととはズバリこれ。
「なぜ僕はmixiというサービスが嫌いなのか」
僕はmixiが嫌いである。
正確にいえば別に嫌いではないので、嫌いという表現は適切ではない。
ただ、いまいちしっくりくる表現が無い。
苦手。
不快。
納得がいかない。
認めたくない。
どの言い回しも微妙に僕の心情を表す言葉としては適当ではない気がする・・・。
僕がmixiに出会ったのはもう2年以上前。
まだ会員数が10万とかその位で、極々狭い社会の中でのみ、その存在が知られている程度だった。
当時の僕は、その存在を知ってはいるが、別にサービスを利用しているわけではなかった。
そう、だれも招待してくれなかったのである!
人がやってるmixiを横で見ていただけである。
「へぇー、ブログと何が違うの?」
そんな感じのクリクリ坊主だった。
当時、最も強く感じた想いは
mixiは必死な男と勘違いした女だらけ
ということである。
負の相乗効果といったところだろうか。
この日記を書いているのは”札幌市の25歳OLだ”とか
”都内在住の女子大生だ”とかいった情報がすぐに手に入る世界。
自分と同じ地域に住む、自分と同年代の異性の情報がすぐに手に入る。
足跡、コメント、メッセージ・・・様々な形でアプローチをとり女を持ち上げる。特にリアル世界でニッチもサッチも行かない男にこの傾向は強い。
モテて嫌な気持ちになる人間はまず居ない。
男からのアプローチを鬱陶しいと思いつつも、同時に自分がモテると勘違いしてしまうのは仕方ないことだ。そうこうするうちに自分に自信がついてくる。自信に溢れる人間は大抵傲慢になる。
程度の問題で、超傲慢になるか、なんとなく普段より主張が強くなるかといった差はあるが。
そう、繰り返すが
必死な男と勘違いした女だらけ
なのである。免疫の無い者同士のランデブーなのである。
と、ここまでは当時、まだ会員数が10万とかその程度だったころのお話。
当たり前だが10万人が全員そうだったとは思っていない。
せいぜい全体の1パーセント・・・1000人くらいがそうなんだろう。
それでも、その一部の痛さが目立つせいでmixiというサービスに上記のような印象を持ったことは僕の偽りようの無い事実である。
そしてあれから、mixiはサービス名から会社名まで兼ねるようになり、SNSの代名詞と言っても過言ではないほどの大きなサービスに広がった。
そんなmixiに対しての僕の印象は、2年前のそれとなんら変わらない。
今でも相変わらず必死な男と勘違いした女だらけなのである。
痛々しい。
自分はそうじゃないと、必死に自己暗示をかける。
それでも周りから見たら僕は必死な男に映っているかもしれない。
mixiやっています。そう言っただけで、聞き手は「
名無しさん必死だな」と思うかもしれない。
そう思われても仕方がない世界、それがmixiだと僕は思っている。
だからmixiが嫌いなのか?
今まではそうだと思ってた。
自分の中での確固たる答えとして君臨していた。
あそこは痛杉だから嫌だ・・・と。
ただ、そうは言ってもmixiのメリットも理解していないわけではない。
誰が何と言おうとあのサービスは出会い系である。
懐かしい出会い、新しい出会い、憧れのあの人との出会い。
人と人を繋ぐことには想像を絶するほどの意味がある。
人生に変化を与えるのだから。
昨年、超心が折れる事件が発生した。
「おえの心、折ったあ大したもんだよ(長州小力)」
(´ω`)・・・。
そんな時、優しいメッセージをくれた人たちがいた。
馴れ合いに命を救われたと言っても過言ではない。
折れた心を修復する後押しをしてくれた。
mixiをやっていなかったら、心を修復するのに少なくとも倍程度の時間がかかったと思う。
素晴しい人たちが沢山居る。
彼らはきっとmixiに対して僕が持っているような嫌悪感は抱いていないのだろう。ただのWEB日記サービスとして純粋にその世界を楽しんでいるのだと思う。
そういう側面、そしてそういう人々が大半を占めているのがmixiだっていうことも重々承知している。にも関わらずmixiに対して一貫した(といえば聞こえがいいが)ただのステレオタイプな否定しかしない。
だからひょっとしたら僕がmixiを嫌う理由は他にあるのではないかと、そう考えるようになった。
そして自分の心を見つめて、一つの結論に至った。
こういうとき、心理学を修めておいて良かったなぁって思う。
本読んだだけだけど。
僕は馴れ合うのが苦手だ。
自分が大好きで、最後には自分に頼る。自分ならどんな状況でもそれなりに何とかしてくれると信じている。これは自意識過剰というよりも、そう生きてきた結果なんだと思う。
僕だけの話ではなく、誰でもそうだと思うが、基本的に人を信じていない。
一応、説明するが「今日は電車が混んでてさ〜」という話を聞いて、「ウソだ!」と思うわけではない。
「財布にあと2000円しか無い・・・諭吉さんを貸して下さい」という話をされて「嫌だ!」と思うわけでもない。そんなものはいくらでも貸す。
自分の弱い部分を見せたがりの人と、見せたがらない人がいると思うが、僕の場合後者だというだけの話である。
頼り下手ということなんだと思う。
とにかくそんな感じで馴れ合うのを恐れている僕にとってmixiは非常に危険な世界に見えるのかもしれない。
あそこで日記を書くと何かしらのレスポンスが返ってくる。
例えば、仕事で凹んだ時、どうすれば鬱憤が晴れるか考えるとmixiで日記を書けばいいんだということに気づく。誰かが慰めてくれる。
これは本当に危険な兆候だと思う。
馴れ合い、依存、こういう状況に慣れて、人から支えてもらうことが当たり前だと感じるようになったら、僕はもう一人で立ち直ることが出来なくなってしまうのではないか。そんな気持ちになる。
自分が人を頼るようになるのが本当に怖い。
(↑心の奥底をパブリックな場所に吐露した例)
だから僕はmixiというサービスが嫌いなんだと、今はそう思う。
そして淡々と日々を綴って、トラックバックという手の込んだ形でしか外からのアプローチを受け付けないこのブログが好きなんだと思う。
テラ心地ヨス。